平成18年4月、名古屋駅前に開設した介護付有料老人ホーム「グラード名古屋駅前」の施設長が日々の出来事をつづります。


by grado_nagoya
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6月9日 「父の死」

すっかりご無沙汰してしまいました。
申し訳ございません。

ある方から「楽しみにしていたのに・・・」
という声をお聞きしたので
反省し、再度書きだすことにしました。


実は、去る5月29日日曜日午前0時49分、
私の父が亡くなりました。
金曜日は定例の特定協全国事務局会議が新橋で開催され、
その夜、いつも通り横浜の実家に泊めてもらい、
土曜日の朝、一緒に朝食を摂ったのでした。

その時、お土産に持参した「赤福」を「うまいなあ」と言ってくれ、
名古屋に帰る私の「リハビリ頑張ってね」という声かけに
「おうっ」と返事をしてくれたのが最期の会話になりました。

母の話だとその日はデイサービスで、
デイから帰宅してから体調を崩し、ベッドで嘔吐したらしいです。
すぐに主治医に往診を頼み診ていただいたら
救急搬送した方が良いと言われたそうです。

病院では即ICUへ。
「誤嚥性肺炎で肺は真っ白。
厳しい状態なので親族を呼んでください」
と言われたそうです。
そして日付が変わってすぐ息を引き取ったそうです。


私は中学生位から父親が苦手で
成人しても親孝行な息子とはとても言えませんでした。
家出同然の形で横浜から名古屋(当時)の
日本福祉大学に進学し一人暮らしを始めました。

年に一度実家に帰るか帰らないか・・・。
帰ってもすぐ対立して一泊で帰宅するという形でした。

ところが10年ほど前にパーキンソン病を発症し、
心臓も弱りペースメーカーを入れ、
また脊柱管狭窄症を患い、転倒して大腿骨頸部骨折するなど、
要介護状態になってしまい、
在宅介護サービスを利用するようになりました。
しかし、その頃から一人で介護する母親の様子も合せて気になり、
毎月、顔を出すようになったのでした。

お互い若い時には価値観の違いから
話をするのも敬遠していましたが
父が要介護状態になったときから会話が少なくなり
その分、対立が少なくなってきた気がします。
これも「歳をとる」メリットなのでしょうか・・・。

亡くなるまで寝たきりにならず、
トイレもギリギリですが自分一人で行けて、
食事もこぼしながらも自分で食べられて、
痛みや苦しみを訴える間もなく
家族に重介護の負担を負わせることなく
あっという間に旅立つ・・・。
あれだけ死を恐れていた父にしては
立派な最期だったなあと思います。

決して親孝行な息子ではなかったけれど、
写真や動画ではありましたが、
ひ孫の顔を3人も見せてあげられたのだけは
良かったのかなと思います。

合掌


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by grado_nagoya | 2016-06-09 17:06 | Comments(0)